今を生きていたいだけ

新卒1年目携帯販売員の戯言

とりあえず、生きた方がいい。

2年前、父親が脳卒中で倒れました。

 

その時の自分への戒めも込めて、

今になったからこそ綴れるものを

記したいと思います。

 

率直に申し上げますと、

父親が倒れた時に「悲しい」という感情は

一切ありませんでした。

 

昔から自分が気に入らないことがあれば手を上げ、

特に、母親に対して強く当たっていた

父親でしたから。

 

父親が緊急搬送されたと彼の勤め先から

連絡が来た時には、どこか黒いモヤを持った

「喜び」に近い感情と驚きが渦を巻いていました。

 

緊急搬送された先の病院で、

「この3日が峠だ」と言われました。

「このまま生きていられる確率は5割ぐらい」とも。

 

その言葉は私の中で、

「5割の確率で父親は居なくなる」と変換されて、

またどす黒いモヤモヤが増した気がしました。

 

病院での話を一通り聞いて家に帰り、

家族と今後はどうなるものかと話し合いました。

 

私には、母の他に妹と弟がいますが、

皆、特に父親に対しての愛情はありませんでした。

 

だから、

父親の今後の顛末を気にしていると言うよりは、

学校を欠席しなきゃだとか、

仕事を休まなきゃだとか、

そんな、どこか事務的な話ばかりしていました。

 

そんなこんなで私は自室に戻り、席に着きました。

 

すると、どこか黒く濁った感情が

私を襲ってくるかのように、

こんな考えが浮かんでくるのです。

 

誰かが死の瀬戸際に立っているというのに、

それを喜んでいる自分はなんなのか。

 

そしてそれは私の自己嫌悪を掻き立てて、

私の方が死んでしまった方がいいのではないか

という考えを呼び起こしてきました。

 

実際に行動に移してしまおうか、と思いは

しましたが、結局、怖くてできませんでした。

 

生きていたいけど、死ぬこともできない。

どうも身体に力が入らず、息をすることすら

面倒だと思いました。

 

どうして生まれてきてしまったんだろう。と、

自分の存在を否定して、生きてもいたくないけど、

死ぬことも怖いと感じる我儘な自分を

痛めつけていました。

 

結果的に、父親は一命を取り留めました。

半身が動かない後遺症が残ったため、

今は介護施設にいます。

 

あの時の自分へ、言えることがあるとすれば。

 

貴方の自己嫌悪が無くなることは、

遠分の間はありません。

 

少なくとも、この文章が書かれている今までは。

 

それでも、貴方は、

それを抱えて生きなければなりません。

 

夜、ふとした時に、その自己嫌悪は

鋭く研ぎ澄まされた刃のようになって、

貴方の胸を突き刺そうとするでしょう。

 

それでも、逃げて逃げて、

生きて欲しいと思います。

 

今の私には、いつか文章を書くことを

生業として生きていきたいという夢があります。

 

しかし、その夢を見つけるのは、

この騒動の少し後になります。

 

だから、貴方には、何としてでも

生き延びてもらわないと困るのです。

 

最後にこんな綺麗事は好きではありませんが、

しかし、そういった理由で、こう思います。

 

その先にある幸せと巡り会うために、

生きてください。